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こじらせ女子の末路

非倫理的社会不適合者です。

精神的成長は必要か?という件について

このところ天気が悪くて“外出したくない病”にかかっている私は、小難しい哲学者にでもなった気になって考えごとばかりしています。

30代もそこそこになり、自分は果たして20代の頃よりも精神的に成長しているのか?と、ふと考えました。そもそも「どういった変化が精神的に成熟しているといえるのか?」についてですが、Google大先生に聞いたところ

『人間として“成熟している”というのは、たとえば相手が間違ったことを言ったりやったりしても、それを早急に咎(とが)めたりしないことができる、ということです。

まず何よりも相手に気持ちや意見を聞くことができる。つまり、相手の「時間」を作ってあげることができる。そういう対応ができることが「人として成熟している」と言えます。』

他には

『一つの例を出すと、グレーゾーンの容認という部分もあります。精神疾患者の多くや、幼稚な人は、判断基準が良いか悪いかの二択しか存在しないケースが多いです。成熟するにつれ、グレーなー部分が増えてきます。』


だそうです。自分にとって都合のいい意見しか取り入れてないじゃないか!と言われればそれまでなのですが、とりあえず精神的成熟とは「相手をありのまま受容(できるかどうかは別にして)しようとする態度をもつこと」「良いか悪いかの二択ではなくグレーゾーンを容認できる価値観を持つこと」であるとします。

この観点から考察すると、私は精神的に成熟できている方だといえるでしょう。この2つの考え方については20歳の頃は全く1ミリも持っていませんでした。なぜならそれまでの私は「自分は“正義”であり、正しいことだけをやってきた」と自負していたからです。あの頃の私は“悪”は全てが悪いもので、そうでない“正しい”自分は素晴らしいと信じていました。

若いから汚いものを見たり汚いことをせず生きてこれた結果でしょう。自分を綺麗な存在だと信じており、それはそれで幸せだったのかなとも思います。今考えるととっても浅はかな考え方なんですが。

年齢を重ねるにつれ、人生を綺麗に生きることを諦めたり自暴自棄になり人を傷つけてみたりを繰り返し、自分が綺麗な“正しい”存在だと思わなくなったところで、ようやく「他人をゆるす」ということができるようになってきました。

本題の精神的成長の必要性についてですが、精神的に成熟してない方は沢山います。私の親も然り。このまま成熟せずに生きていても良いんじゃないか?と思うところですが、精神的成熟を伴っていないとどうなるか?

まず、精神的未成熟な親に育てられた私はとても辛い想いをして大人になりました。そして自分自身も「正しい」ことのみを正しいとする考えのもと生きることとなり、他者を許せず、受容することもできず、20代後半までとても精神的に不安定な人生を送っていました。他者を許せないためトラブルが多かったですね。

私のことはほんの一例に過ぎませんが、精神的に成長しないととにかく生きるのが辛いです。そして親であるならば、子どもにとって悪影響であるといえます。会社ならば同僚や上司、部下との付き合い方が上手くいかないこともでてくるかもしれません。人は“社会”というものの中で生きています。その中では人と関わることが“絶対”であるため、他者をゆるすという精神的成熟が大切だと言えるでしょう。

と、色々考え「精神的成熟は必要である」という結論に至った次第です。思い過ごしかもしれませんが、少しは自分も成長しているのだと思いたいものです。