こじらせ女子の末路

非倫理的社会不適合者です。

中学生時代の夏休みの思い出がない。

自分のプライベートな話を書くと身バレが怖く、なかなか書けないでいましたが…

 

こちらのブログを拝見して少しだけ書いてみようかと思いました。

 

題名の通り私は中学生時代の夏休みの思い出がありません。「思い出がない」というのは適当ではないかもしれません。正確に言うと「友達と遊んだ思い出がない」です。

中学1年生の頃はバドミントン部に入っていたため、夏休みは部活に行くという日課があり外出していたのですが、そのバドミントン部がまた厄介。ペアを組んで練習をしなくてはいけないという決まりが。するとペアを組んでいた相手が部活に来なくなり…また中学2年生になった頃から私は同学年の女子全員から無視されていたため、部活にいってもそんな私とペアを組んでくれる友人がいるわけもなく…。そして私はバドミントン部を辞めました。

小学生の夏休みは嫌でも毎日あったラジオ体操すら中学生は行く必要がありません。私は毎日何をして過ごしていたのでしょう。何となく記憶にあるのは

 

起きる→朝ごはんを作る&食べる→ニュースを見る→洗濯物を干す→お昼ご飯を作る&食べる→昼ドラを見る→昼寝するor読書→洗濯物をたたむ→夕飯の用意をする

 

ん?主婦ですかね?

毎日同じことの繰り返しで全く面白くもクソもない夏休みでしたが、それよりも私は夏休み明けの友達のいない学校生活がまた始まる日が来ることにビクついていたような気がします。

なぜ友達がいなかったかは、まあ自分のせいでもあり、そんな自分を作った毒親な両親の存在がありました。私の親は子供に関しては「成績が良ければそれでよく、遊びや友達は必要ない」そのような偏った考えの方たちでした。中学生の女子というものはただでさえ面倒臭いものであり、その対応に悩んでいた当時の私に対して

友達なんてものはいらない。何にも利益にならない。なぜ友達なんか欲しがるのか?

と言い放たれた記憶があります。(父に友人はいません。お葬式呼ぶ人いないや。あはは)自分のせいであると言ったのは、キチガイ発言を繰り返す親に反抗できなかったという点ですね。養育されているうちは反抗できないな…と子供ながら理不尽さを感じていました。

我が子に友達が一人もおらず夏休みにどこも行かないという状況が変だとは私の親は考えなかったのか?(もともと社交的でなく本ばかり読んで引きこもっていた幼少期でしたが)なんて愚問ですよね。はい、考えてなかったと思います。“問題を起こさないいい子”であったことでしょう。そのようにして2年生の夏休みは過ぎていき、3年生の夏休みはというと…ゴロゴロしていて暇な夏休みを過ごすくらいなら、と塾に通うことになりました。というわけで継続して友達のいなかった私は、毎日塾に通うという予定ができたことに喜びを感じていました。その塾も自分と同じ学校の子が通わないような遠い場所を選び、安心感もあり、塾に行くということがとても楽しかったのを覚えています。

私の両親は世間でいう毒親でしたが、私が大人になると無毒化しました。というより「養ってやってるんだから言うことを聞け」のセリフが言えなくなったこと、子供ながら親のために自分を犠牲にするのは当たり前だと思っていた私の優しさに甘えまくっていた両親に対して、厳しく接するようになったことが大きかったと思います。

 

というわけで世間は「夏休み=楽しい」といったイメージでしょうが、私の夏休みの思い出にはダークなものが含まれているのです。まだまだ夏休みは始まったばかりですが、こどもたちが楽しい夏休みを過ごせますように…。