こじらせ女子の末路

非倫理的社会不適合者です。

ブスの自覚。

寝れない時に私がよくやってしまうこと…それはインスタグラムやTwitterで“#ブス”というハッシュタグを検索するという。SNSの闇をみることができていい暇つぶしになります。(さっさと寝ろ)

私は自分を「ブスである」とよく表現します。周囲からはブスではないと言われますが“美人”と言われたことはあまりありません。たぶん“美人”というタイプではなく、どちらかというと“可愛い”に属します。童顔気味でシワがないため10歳ほど若く年齢を間違われます。ですが「モデルか女優さんですか?」ではなく、「AKBにいそうだね〜」な感じです。レベル的に中の上か、上の下といったところが妥当だと思っています。

若い頃、銀座の夜のお店で働いていたこともあり(お店には可愛い子もブスも両方いましたし、売れっ子がただ美人な人たちだけではないということもわかりました)、私は見た目で人気があったタイプではなく少しブスなことを売りにしてお客さんから可愛がられていました。

そういう見られる商売の場で働いていると整形している子も多く、彼女たちは自分のコンプレックスを着々と治して完璧な美人になっていきます。私も歯と顎を少しいじりました。

ですが私は元々の骨格が良くなく横顔が非常にブスです。前方からはまだマシなのに、横からのアングルがドブス!!!もうお金いくらかけても治らないレベル。笑

この「完璧な美女になれない」という事実が私にブスというものを受け入れさせたのでありました。

あんまりブスブス言うと、ブス自覚があり、なおかつ私よりも顔が崩れている子から大ブーイングを受けるのですが。その子たちも私も含め、自分の見た目のレベルを受け入れているというか、しっかりとブス度を認知している。この自分の見た目のレベルを認知することは生きていく上で重要であるなとしばしば思うのです。

 

30代40代のこじらせ男女たちに共通していえるのは「自分を過大評価している」方が多く感じられます。いわゆる“カンチガイ”というやつです。30年以上生きてきてつくづく感じたことは「女は見た目で評価されやすい」ということです。 

人は見た目が9割 (新潮新書)

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言ってはいけない 残酷すぎる真実 (新潮新書)

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 美人は生涯に2400万円得し、不美人は1200万円も損して、美貌格差の総額は3600万円にもなるのだ。

 “美貌格差”ですって。ひっど〜い!なんて言いたくなりますが、これは身をもって経験しているためバカにできない真実です。自称ブスの私ですらこの金額以上使ってもらっているため、芸能人クラス級の美女ともなれば相当な金額になるのではないでしょうか。 女の価値を見ためのみで判断するというのは大変浅はかな行為だなあと感じるのですが、初対面で中身を知ってもらうことなど到底不可能であるし、そもそも中身すら浅い私たちにどうしろと…。

とにかく“女は顔”なのです。そして男はというと…“金”ですね。見た目もいいにこしたことはないのですが、見た目が悪くとも“金”があればカバーできるといったところが女とは違うところでしょうか。

 

このくだらない価値基準の中で自分はどのレベルに位置するのか?を客観的に判断できている方が、生きやすいのだと私は思います。

私が若い頃に「美人だからモテて当然!イケメンで億以上稼ぐ男じゃないと釣り合わないわ!」なんて勘違いしてたらきっと結婚なんてしていなかったでしょう。この顔のレベルだし、ここら辺が妥当だろう…と。

ブサイクを自覚する男友達は「俺の嫁はめちゃくちゃ美人とかじゃないが、金もなく容姿もそこまで良くない俺レベルが結婚するとしたら、たぶんこれが限度だと思った」という発言が聞かれます。言い方はひどいですが、要は分相応というものを自覚しているということですね。「ブサイクで金もないが美人としか付き合いたくない!」と喚いていた友人は、最近結婚も彼女もあきらめて美人しかいない高級ソープに通っております。

 

「結婚したいのにできない!」「彼氏(彼女)欲しいのにできない!」と言ってる方たちは、一度“自分が人からどう見られているか”を客観視するところから始めた方がいいのかもしれません。